日本刀が湾刀へと変化した時代背景

古代の日本は大国である中国や朝鮮半島に比べて、まだまだ発展途上国でした。そのため、様々なものを中国や朝鮮半島から導入していました。先述しましたが、刀もそのうちのひとつです。そのため、平安時代時初期までは、大陸・半島の伝来の刀剣の影響を強く受けた片刃の直刀が日本の刀の主流でした。しかし、同時代の承平・天慶の乱の前あたり(935~940年)に、反りを加えた日本独特の湾刀へと変化してきたと言われています。なぜ、日本は直刀から湾刀に変化させようと考えたのでしょうか。直刀が湾刀に変わる上で何らかの影響を与えたのではないかと言われているのが、蕨手刀という刀です。この刀はヤマト政権の時代から「蝦夷」という名前で呼ばれていた東北の住人たちが使用していた刀剣なのです。北海道・東北・関東・甲信地方の古墳や遺跡から発見されているものがほとんどであり、東大寺の正倉院にも「黒作蕨手横刀」として所蔵されています。蕨手刀は日本刀の起源のひとつと言われており、柄頭が蕨の若芽のような形で、柄には木を使わず鉄の茎に紐や糸を巻いて握りとしているのが特徴です。遺跡から発見されている刀から、東北の英雄である悪路王の佩刀であったと伝えられている蕨手刀は、その後の毛抜形太刀へと変化していく様子がはっきりと確認できるのです。この毛抜形太刀は完全な形で現存するものはたったの3振と言われています。長い年月を経ているにも関わらず、金具が黄金の輝きを失っていないということから、かなり純度の高い金が使用されていることがわかります。平安時代には、関東の地方豪族の子弟たちが、平安京に召集されて、王城の警護にあたることが多かったといわれています。このような時代背景の中で、関東地方の人が使用していた蕨手刀が、その時代に主流であった直刀に影響をあたえたのだろうと推測されています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です